角田文衞博士の紹介
①賛助会費による支援対象事業
角田文衛博士の考古学への情熱は、既に仙台第一中学校時代に芽生え、陸奥国分寺跡の遺跡調査に関わったり、東北帝国大学の歴史研究室にも出入りされていました。
成城高等学校時代には、民俗学の柳田国男先生の教えを乞い、学園文芸誌の編集・執筆にも当られました。
高校卒業後は、濱田耕作先生の教えを乞うべく京都帝国大学に進学、考古学の道に邁進されて研究を深められました。
昭和14年に考古学の日伊交換留学生としてイタリアに渡り、3年間の研究成果を『古代学序説』として纏められ、学界の注目を浴びました。
帰国後は京都帝国大学副手として活躍されましたが、昭和19年に応召、シベリア抑留等の辛苦の末、昭和23年にようやく復員、大阪市立大学助教授として日本の考古学復興に尽力されるとともに、昭和26年には古代学協会を設立、季刊誌『古代學』を創刊されました。
角田博士は、古代史を考古学と文献学の両面から総合的に研究する古代学の発展に尽力され、企業による支援の輪を広げるなど、その行動力と組織力をいかんなく発揮されました。
昭和32年に古代学協会が財団法人に認可されて以降も、平安博物館・古代学研究所・西方古典文化研究所の設立や月刊誌『古代文化』の刊行、国内外での発掘調査(平安京跡、如意寺跡、アコリス、ポンペイ等)、仁和寺典籍調査、紫式部研究、冷泉家時雨亭文庫の開扉など多分野にわたって活躍されました。
このように、角田博士は、生涯にわたって古代学を提唱・実践され、その構想は次々に花開き、学問の世界に計り知れないほどの影響を与え続けました。
現在古代学協会では、角田博士の膨大な蔵書、研究資料、書簡類、写真などの整理を進めています。
また、昭和60年前後に刊行された角田博士の著作集に続く『角田文衞の古代学』全4巻も刊行を致しました。内容については「角田文衞の古代学」ページをご覧ください。